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広島高等裁判所松江支部 昭和46年(行コ)2号 判決 1975年1月31日

控訴人

島取税務署長

藤原義雄

右指定代理人

清水利夫

ほか五名

被控訴人

株式会社日ノ丸総本社

右訴訟代理人

花房多喜雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一原判決の理由中、第一項及び第五項を引用するほか、次のとおりである。

二被控訴人が本件新株引受権を原判決別表(三)記載の者に譲渡した事実の有無について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  大東京観光は、貸切バス運送業を主たる目的とする株式会社であつて、昭和三六年三月当時の資本金は二〇〇〇万円であり、年一割配当を実施して来たものであるが、数年来車両数の増加、車庫建設のための設備資金や運転資金に窮しており、短期借入金四四〇〇万円、長期借入金二三一〇万円、支払手形三六七〇万円、合計一億〇三八〇万円程度の負債があつて、これらを代表取締役たる木島虎蔵の個人保証によつて金融機関から借入れるなどしていたので、木島はかねがね大東京観光の全株式を二分して保有している被控訴人及び日ノ丸自動車の事実上の総帥である米原章三(同人は大東京観光の取締役でもあつた。)に対し増資方を要請していた。また、大東京観光は、被控訴人の系列会社の一つではあるが、代表取締役木島虎蔵が元国鉄管理局長等の経歴を有し、大東京観光のバス事業免許の獲得や営業面にも功績があつたので、米原章三の支配力も木島に対しては必ずしも完全には及ばない状態にあつた。これに加えて、当時労働組合側の攻勢が激しくなつて来たことなどから木島が右会社の経営に熱意を失うおそれもあつたので、昭和三六年四月一日の右会社の取締役会で米原章三も木島の要求どおり倍額増資をすることに一応同意した。なお同日の増資決議において、発行価額を一株五〇〇円とすること同年五月一日現在の株主保有株式一株に対し一株を割当てること、払込期日を同年六月三〇日とすることが定められた。

(二)  しかしながら、一方、被控訴人の当時の経理内容は、資本金九〇〇〇万円、保有有価証券約七八〇九万七〇〇〇円、金融機関からの借入金七五八七万五〇〇〇円、昭和三五年四月一日から同三六年三月三一日までの事業年度の利益金(税込み)約六二〇万八〇〇〇円であつて、これ以上に大量の有価証券を保有することにはその収支状況、資産内容からいつて困難があり、系列会社である日ノ丸自動車も当時数次にわたるストライキに悩まされる状態にあつたので、金融機関からの借入金によるか、また米原章三らの個人資産によつて払込みをしない限り、本件増資による新株については失権せざるを得ない状態にあつた。そこで、前記増資決議に際しても米原章三は必ずしも増資に乗り気ではなく、被控訴人及び日ノ丸自動車が必ず割当てられた新株を引受けるかどうかは確定的とはいえない状況にあつたので、失権株が出た場合の措置については後日改めて協議することが特に合意された。

(三)  その後昭和三六年四月末ごろ、被控訴人の常勤役員会(米原章三ら数名の主要役員から成る幹部会)において、被控訴人としては右新株を引受けないことに決定した(なお、日ノ丸自動車も、その割当てを受けた一万株につき同様に失権の方針をとつた。)。しかしながら、米原章三が自ら大東京観光の前記取締役会に出席して倍額増資に賛成したいきさつや、木島から右方針決定後も再三引受けの要請があつたことから、被控訴人が失権する三万株(一五〇〇万円)のうち、一万株は木島らが東京方面で、残り二万株は米原章三らが鳥取方面で、それぞれ責任を持つて縁故募集により引受けさせる旨の話合いが関係者の間でまとまり、鳥取地区では被控訴人の系列会社の役員、従業員らに対し、同年五月末ごろから米原章三名義で株式引受の勧誘状を出すなどして公募に努めた。ところが、何分大東京観光株式は非上場株で市場性がなく、事実上換金不能とみられていたため、全く人気がなく、自発的に引受ける者がいなかつたので、米原章三は被控訴人及び日ノ丸自動車車の役員に対しそれぞれ応分の株数を指示して半強制的に引受を勧誘し、これにより被控訴人の失権前に早くも公募による引受けの目途がある程度立つようになつた。しかし、それでも公募による引受けは鳥取地区に割当てられた前記二万株の全部に満たなかつたので、木島の強い要求により、最終的には、日ノ丸自動車が自社振出の約束手形を担保に訴外鳥取銀行から五八〇万円を借入れて(なお、右借入れが日ノ丸自動車によつてなされたのは、実質資産の乏しい被控訴人の手形では銀行に信用がなく、貸付を拒否されたためであつた。)、引受未了だつた一万一六〇〇株につき払込みを了し(なお、日ノ丸自動車が本来引受権を有しながら失権した一万株についても、その後同社が改めて引受け、払込みをした。)、辛うじて払込期日である同年六月三〇日までに増資目標額の払込みが達成されるに至つた。なお、右五八〇万円は、いつたん払込取扱銀行である鳥取銀行本店に払込まれたが、実際には大東京観光に送金されることなく、同年七月一一日同社によつて日ノ丸自動車の鳥取銀行に対する前記借入金の返済に充てられ、結局大東京観光の日ノ丸自動車に対する同額の債権が残存することとなつた。昭和三七年一月三一日、日ノ丸自動車は右五八〇万円の債務を返済した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

控訴人は、本件新株につき被控訴人らが失権した結果公募することが決定される以前に被控訴人役員らが新株の引受けや払込みをしているのは、失権と公募が形式的操作に過ぎないことを示すものであり、被控訴人の失権は初めから予定されていたと主張するが、前記のように四月末ごろには被控訴人の失権の方針が決定されており、また公募といつても市場性に乏しい株式である関係上縁故募集に頼らざるを得ないのであるから、申込期日の徒過により正式に被控訴人が失権する以前に上記認定のような経過で事実上縁故募集の手続が進められることがあつても格別異とするに足りないというべきである。また、前出<証拠>によれば、大東京観光の定款上、取締役会の決議により株主の新株引受権の一部又は全部を排除することができるものとされているのであるから、増資の当初から被控訴人に新株引受けの意思がないなら、初めから公募の方針をとるのが手続上簡便でもあり、本件のような課税上の問題を生ずる余地も生じなくてすんだはずで(他の株主である日ノ丸自動車も、後に失権していることや、事実上被控訴人と同じく米原章三の支配下にあつたことからみて、被控訴人と異なる意向を有していたとは考えられないから、右の方針をとることになんら支障はなかつたはずである。)、この一事のみからしても控訴人の主張は採り難い。

もつとも、自ら大東京観光の取締役として本件増資を決定しながらその後被控訴人を失権せしめた米原章三の行動に首尾一貫しないものがあることは控訴人指摘のとおりであるが、その事実が控訴人主張の新株引受権の譲渡と論理上どのように結びつくのかは明らかでなく、むしろ、証拠上からは米原章三が右のような行動をとるに至つた事情は上記認定のようなものであつたと認められる。また<証拠>によれば、もと大東京観光の取締役であつた柳沼重敏の大蔵事務官に対する供述として、米原章三は本件増資決議当時から被控訴人役員らに出資させる考えであつたろうと思う旨の記載があるが、右は前顕<証拠>(同人の協議書に対する意見開陳の書面)と対比しても上記認定事実の一端からの結果論的な推測を述べたにすぎず、右認定を動かし、控訴人側に有利な資料となすに足りない。

次に控訴人は、大東京観光の本件増資以前から、同会社の株式を他に一括譲渡する話があり、被控訴人の失権及びこれに続く被控訴人役員らによる株式引受は、これを見越して計画的に行われたものである旨主張するところ、(1)<証拠>によれば、本件新株の払込期日であつた昭和三六年六月三〇日から約七か月後の昭和三七年二月一日に、大東京観光株式の一括譲渡に関する覚書が同社社長木島虎蔵と近鉄との間に取交され、以後これに基づいて逐次株式の譲渡が実行され、最終的には全株式八万株が代金合計二億七二五〇円で近鉄に売却されたことが認められ、(2)<証拠>によれば、近鉄は昭和三六年中から東京進出を企て、千代田観光株式会社発起人の名義で運輸審議会に東京都におけるバス事業の認可申請をしたが認可を得られずにいたことが認められ、同一業界に属し、かつ前記のような経歴を有する木島虎蔵がこのような事情を承知していたであろうことは推認するに難くなく、(3)<証拠>によれば、おそくとも昭和三六年一二月ごろには、訴外富士急行株式会社、同国際自動車株式会社等と大東京観光との間で大東京観光株式の一括譲渡に関する交渉が行われたことが認められる。さらに前記のとおり、(4)本件増資につき日ノ丸自動車が新株引受人として払い込んだ五八〇万円は、実際には大東京観光の経営資金として活用されず、まもなく同社の日ノ丸自動車に対する債権に転化されており、また、(5)日ノ丸自動車は本件増資において自ら引受権を有していた一万株についていつたん失権しながら、その後右一万株及び被控訴人の失権した分のうち一万一六〇〇株を引受けて払込みをし、右一万一六〇〇株の払込資金調達のために自社振出の手形を担保に入れて鳥取銀行から融資を受けている。

しかしながら、前記(1)ないし(3)の事実からただちに本件増資当時大東京観光の株式の譲渡に関し近鉄又は他のバス運送業者との間に交渉が行われ、右株式が近い将来高価に亮却できるという具体的な見通しが立つていたことは断定できず、かえつて、前出の<証拠>によつて認められる、昭和三六年一二月ごろにあつた国際自動車、富士急行に対する右株式譲渡の話は大東京観光のバス車庫の施設が十分でないことや譲渡価格の折合いがつかなかつたことから不調に終り、その後に近鉄との交渉が始まつているという事実に照らしてみても、本件増資当時右のような見通しが立つていたとは容易に考え難い。また、前記(4)の本件増資による払込金の一部がいわゆる見せ金にすぎなかつた事実も、直ちに右増資自体が株式売却を前提とした政策的なものであつたことを示すものとは断じ難く、前記(5)のような日ノ丸自動車の株金払込みの経緯も、本件増資決議以後の同社ないし米原章三の行動に一貫性が欠けることを示してはいるが、そのような事実がただちに被控訴人の主張するように本件増資に際して株式の高価売却の見通しが立つていたことと結びつくとは考えられず、むしろ被控訴人、日ノ丸自動車がいずれも失権していることは、右増資当時両社ひいてはこれを支配する米原章三らの大東京観光に対する投資意欲が十分なものでなかつたことを物語るものと見る余地が多分に存する。

なお、本件増資当時における大東京観光の資産額(営業用自動車のいわゆるナンバー権を含む。)を新株を含めた総株数で除した金額が、控訴人主張のとおり二一〇一円で額面金額五〇〇円をはるかに上廻つていたとしても、右金額は会社資産を売却した場合に想定される対価を一株当りの金額に引直した観念的な数額であつて、ただちに会社経営の継続を前提とする株式の現実の取引価額と結びつくものではないうえ、控訴人の計算による正味財産額一億六八一〇万四八七九円は前記ナンバー権を九四〇〇万円(一台当り二〇〇万円、四七台分)と評価して算出されているのであつて、内容的にも堅実性の高いものとはいい難く、前述のとおり本件増資当時株式の高価譲渡が予見されておらず、大東京観光の株式が事実上換金不能と見られていたことからすれば、右二一〇一円なる金額が算出されることから、本件新株が額面金額(五〇〇円)で発行され、かつこれを被控訴人が引受けなかつたのが被控訴人役員らに利益を享受させる意図に基づくものであると認めるのは相当でない。

また、被控訴人や日ノ丸自動車の役員で本件新株を引受けた者に対しては、米原章三がそれぞれの地位等を考慮してほとんど一方的に引受けるべき株数を指定したものであることは前記のとおりであるが、右指定は勧誘状の回覧等をしても自発的な引受希望者が出て来なかつた結果行われたものであり、しかも、<証拠>によつて明らかなように、米原章三又はその意を受けた稲村菊雄から引受けを勧誘されたにもかかわらず、大東京観光の経営内容に対する不安などから指定された株数の一部だけを引受けたり全く引受けなかつたりした役員もいるのであるから、右のような引受株数の指定の事実から、本件新株に関する失権、縁故募集の一連の手続が被控訴人役員らに利益を享受させるために行われたと断ずることもできない。もつとも、<証拠>によれば、日ノ丸自動車の役員である(この点は前出<証拠>によつて明らかである。)金田秀夫は、本件の新株の割当ては会社への貢献度に応じた恩恵的なものであつたと述べていることが認められるが、その具体的な根拠として、割当てが一方的であつたという以外にいかなる事実があるのかは明瞭でなく、むしろ右は本件新株が後に高価に売却できた事実からの推測にすぎないともみられ、前記の判断を動かすに足りない。

最後に、本件新株を含む大東京観光の株式が木島虎蔵を介して近鉄に一括して譲渡されたものであることは前記のとおりであり、また<証拠>を総合すると、控訴人主張のように右株式の譲渡代金の一部は退職金、記念品料、御供物料等の名目で大東京観光の役員、従業員、その他の者に分配され、また一部は折衝費用に充てられたものとされ、残余の各株式譲渡人に配分された金員も、譲渡人によつて一株当りの代金に六〇〇〇円から二〇〇〇円までの格差をつけて配分されている事実が認められ、また<証拠>によれば、近鉄への株式譲渡前に米原章三、木島虎蔵らの意向に基づいて本件新株の一部が再配分されている事実が認められる。しかしながら、<証拠>によれば、近鉄への前記株式譲渡においては、大東京観光の従前の役員全員及び従業員の一部は退任、退職することが前提とされていて、このため、前記の株式譲渡代金額には、厳密には株式そのものの対価とはいえない役職員に対し支給すべき退職金、記念品料等右前提を実現するため経費一切が含まれていたことが認められるから、右経費に含まれる限度では、近鉄から支払われた金員をもつてこれに充てることは当然であるといわなければならない。もつとも、いずれにしても、各株式譲渡人に対して配分された株式譲渡代金の単価に格差があることは甚だ不合理であり、また前記御供物料(<証拠>によれば、右は日ノ丸自動車の物故役員の霊前に供えるという意味でその遺族に配分されたものであることが明らかである。)の支出が相当といえるかどうかも問題であるが、このような現象は、被控訴人、日ノ丸自動車、大東京観光が米原章三らによつて独裁的に支配される同族会社もしくはこれに類する会社であり、その結果その役職員はその職務以外の関係においてもある程度右首脳部の意向に従わざるを得ない立場にあり、また大東京観光株式を近鉄に譲渡するについて各譲渡人はその価額の決定等を木島虎蔵ら交渉担当者に一任し、その手腕により高価格による売買が実現した関係上、各株式譲渡人は譲渡代金の総額なども知らされず、その配分方法についてもとやかく言わなかつたもので、米原章三ら首脳部が裁量によつて譲渡代金の配分方法を決定した結果であるとみられ、右現象からさかのぼつて最初の被控訴人の失権及び役員らへの新株割当てが恩恵的な意味を持つていたとまで断ずることはできない。前記の新株の再配分の事実についても、同様に考えられる。

三以上によれば、被控訴人が本件新株につき失権したのは、右新株を被控訴人の役員らに保有させようとの意図に出たものであるとは断じ難く、右失権及びその結果被控訴人の役員ら原判決別表(三)記載の者が新株を引受けた一連の経過を、実質的な新株引受権の譲渡であるとする控訴人の主張は理由がないことに帰する。

そうすると、広島国税局長の裁決による減額後の本件更正処分及び過少申告加算税賦課決定のうち、本件新株引受権の無償譲渡につき四八〇〇万円の益金の発生を認定し、これに対して課税した部分は違法であるところ、右違法な課税額が本税につき一八二四万円、過少申告加算税につき九一万二〇〇〇円であることは本件係争事業年度当時施行されていた旧法人税法の規定に照らし計数上明らかであり、前記裁決による減額後の課税額からさらに右の違法な課税額を控除すれば、本税の額は二〇八二万九九一〇円、過少申告加算税の額は九六万〇一五〇円となる。よつて右各金額をこえる限度で前記更正処分及び賦課決定を取り消した原判決は相当であり、本件控訴は棄却すべきものであるから、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(熊佐義里 加茂紀久男 小川英明)

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